読み書きよりもコミュニケーション。

今日は、有名な教育者の紹介と
題してお送りします。

小学二年生、公文穀(くもん たけし)くんの
ポケットから出てきた算数の答案用紙は
母親が心配になるほどの点数でした。

これを見た母親は高校の数学教師をしている
公文公(くもん とおる)さんに相談をします。

わが子のために作った教材、
これが公文式の誕生です。



Youtubeで観る場合はココをクリック。

公文の教室は国内でも1万教室以上と
非常にたくさんありますので
あなたの街でも見た事があると思います。

私の兄弟の長男の子も行ってるみたいで
遊びに来た時の翌朝、必死に読み書き
しているのを目撃しています。

公文式で教えているのは
算数・数学、英語、国語の3教科で
年齢も0才から社会人の大人まで幅広い
のが特徴です。

私には兄が二人いるのですが
長男が、こと勉強に関してはかなり
出来るタイプで、続く弟たちは
肩身の狭い思いでした。

どうしても世間的に比べられる
わけで、出来て当然の様な
空気感が家では漂っていました。

まあそう上手く事は運ばないわけで
私は出来ないヤツでした。

成り行きからして
学校以外の塾とか行かされたのですが、
公文式は行ってないですね。

私が過ごした70年代、80年代というのは
テレビの漫画や漫画本、バラエティ番組、
音楽番組が充実していて四六時中、夢中でした。

不思議ですが、兄弟の間では
音楽が共通趣味ということで
かなり影響、勉強が出来ました。

今の自分のパーソナリティの大部分は
こうした要素がベースにありますね。

公文の宿題をやっている長男の子は
産まれたときからスマホやタブレットを
いじったり、アジアの国々に連れていって
もらえたりしていて環境や経験が違います。

この子が成人するころは
どうなってるのだろう
とフと思う事があります。

この子は小さい頃から知っていますが
年に一回、家に遊びに来るたびに
笑顔が減っている気がします。

家に来てもタブレットのゲームと
にらめっこで、下を向いてる時間が
殆どです。

なんでかなと思っていたら
親が二人ともスマホやタブレットで
それぞれ下を向いています。

子は親の背中を見て育つと
聴いた事がありますが、
普段の行いが表面化されてる
ような感じを受けます。

スマホやタブレットが良くない、
というわけではありません。

塾や教室が良くないわけでも
ありません。

今の世の中の流れからすると
こういう状況はやむを得ない風潮は
あります。

「何か大切な部分が教えられていない。」

気がします。



エックスブッダを教える仙人さんにも
お子さんがいます。

その豊富な知識からお子さんを
英才教育してるのかなと思ったり
するかと思いますが「逆」です。

こと教育に関して仙人さんは
パッションが半端ではありません。

次世代の教育プログラム、
エックスブッダの最初のテーマは
「コミュニケーション」です。

仙人さんはこのコミュニケーションを
重要視しています。

コミュニケーションを教わっていないので
コミュニケーション力が乏しい家庭が
出来てしまうような気がします。

これまでの教育シーンで
教師と生徒の間でコミュニケーションは
交わされているとは思いますが、

そのコミュニケーションはミスを発生する
ことなくちゃんと成立していただろうか。

生徒はコミュニケーションとは
どういうものか教師から
教わっているだろうか。

今の日本をとりまく情勢、問題を
見るとコミュニケーション力が希薄
のような気がしてなりません。

コミュニケーションの重要さを
教える教育機関が全く持ってないのです。

読み書きよりもコミュニケーションを先に学ぶ。
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#Iigiiw


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