理解の空間・修正時間が大事

今日はですね。
少し昔の事を思い出しながら
話そうと思います。



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幼稚園時代は演劇の練習も本番も
一人リズム感がズレていた生徒で
先生からゲンコツをよくもらった記憶
があります。

(家でズレたリズムの音楽を
よく聞いていたからかも・・・)

焼きそばが入ったパンが大嫌いで
食べたふりして外へ捨てに行って
ました。

校舎の2階ベランダで
小便をして怒られました。

小・中学生の頃はとにかく勉強が
苦手で皆と同じように授業を受けて
いても何かにつまずいて、取り残され
感がいつも漂っていました。

一番、哀愁だったのは併願(へいがん)
といって、2つの高校を受験する
制度があって教室の皆でその併願を
受けたんです。

本命校に受かったら皆で
この教室に再び集まろうねっていう
約束をしていたんです。

ところが自分は受からなくて
教室に集まれなかったのです。

(後で聞いたら
自分ひとりだけだったらしい。)

とくにヘコんだ記憶は
なかったです。

もう一つの受かった高校は
なんか一体感を感じていて
自分としては和んだ時代でした。

ネジがゆるんだ者同士の学校っていうね。

ここに来るストーリーだった
かもしれません。

高校に行っても授業はやはり苦手でした
が、男子は男子、女子は女子と校舎が
分けられていたので面白かったです。

何が面白いかって
男ばかりの空間なので授業で
エロ話が飛び交っていたのです。

教師が進んでエロ話をするんで
教室皆で笑い転げてましたね。

そうやって脱線する空間があるんで
休まずケッタマシン(自転車)で
遠くの学校まで通い続けられました。

今は男女一緒になったらしいから
安易にエロ話は出来んと思うけど
どうなんだろう。

エロという共通の話題はいいとして
肝心の勉強ともなると、出来る人と
出来ん人がやっぱりありますね。

わからない所が解決しないまま
授業がどんどん進んでいって、毎回
居残り組に入ってましたね。

工場のベルトコンベアに乗った
同じ形、色、硬さのモノを生産してるから、
同じ結果を出せと言われてるみたいです。

こちとら生身の人間なので
それぞれにパフォーマンスや
タイプの違いがあって当然なんです。

伝道師たる教師があっちのクラス
こっちのクラスで同じように
同じ言葉で授業をしていたとしても、

聞こえてきた言葉を生徒側が
同じようにとらえていると思いますか?

そんな訳がないんです。

なぜなら、人間はいろんなタイプが
あって、それぞれが違う解釈を
するからです。

教師と生徒が同じ解釈をする
タイプ同士だったら、話の内容が
解るのでウンウンとうなずいて
いることでしょう。

しかしタイプの違う人間が
皆と同じ言葉を聞いたとしても
違う解釈をしてしまうのです。

教師はそこに気がついていません。

生徒は誤解をしたまま
キョトンとするでしょう。

ミス・コミュニケーションが
発生してしまうのです。

ミス・コミュニケーションを
修正せず、授業が進んでいきます。

授業時間は皆平等です。
限られた時間空間です。

居残り授業や追試をやっても
誤解が解けていないので
ムダな時間を過ごします。

「理解したかどうかは
試験の結果で判断する。」

「後は各々、塾へ行ったり
ウチで猛勉してくれたまえ。」

このパターンで学生時代を
過ごしてる人が大半なのでは
ないでしょうか。

負け犬の遠吠えだ、と
言われる可能性も5ミリぐらい
ありそうですが。

何が言いたいのかというと。

ミス・コミュニケーションは
誤解を生んだ教師、発信者
指導者の「責任」です。

もっと言うと

「ミス・コミュニケーションを
修正する時間枠を設けていない。」

今の日本の教育シーンの責任は
計り知れない、と感じます。。

途中リタイアして
ミス・コミュニケーションのまま
であっても

やるべき事がはっきりしていて
大成功する人はします。

ミス・コミュニケーションに
気づかない状態のまま
世の中はそんなもんだと
思っているとしたら、

何か、寂しい気がしてしまうんですよね。

ミス・コミュニケーションの溝が深い、
摩擦が大きすぎるから、思わぬところで
心や健康の問題が現れて社会的な問題に
なっているんじゃないでしょうか。

ミス・コミュニケーションは
勉強の出来・不出来だけではなく、

横や縦のつながりでの相互理解にも
大きな問題を落とす気がします。

では、どうしたら
このミス・コミュニケーションを
なくすことが出来るのでしょうか。

生身の人間同士、互いに理解し合う
空間、修正する時間枠を設けることと

「人間にはそれぞれ
いろんなタイプがある」

と認識する事からまず
始めるといいですね。

一つのサークル内にタイプが
一緒の人間もいれば、全く違うタイプの
人間もいる、ということです。

タイプの数がいくつかあれば
そのいくつかのパターンを
それぞれが理解する形で
教えないとコミュニケーションが
成り立たないんです。

教師や指導者は

それぞれの生徒が
どんなタイプの人か理解しておく
必要があります。

コミュニケーションは難しいです。

しかし、ここで紹介するところは
どんなタイプの人間がいて、
どんな風にアプローチをすればいいか
教えてくれます。

何らかの形で人を指導したり
教えることをしている人は必聴です。



次世代の教育者育成プログラム。
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#Iigiiw

追伸

ウサギスタートの人
カメスタートの人のように
スピードが違う人は校長先生は
どう思ってらっしゃるのかな。

正しいコミュニケートが出来ていれば
修正する時間枠はいらないでしょうか。

これを聞いてみたいと思っています。

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